RADWIMPSが人気バンドな理由の1つに、間違いなく歌詞のすごさがある。
映画『君の名は。』の大ヒットの理由にも当然、映画の世界を広げてくれるような、ボーカル・野田洋次郎の歌詞の素晴らしさがあった。
今回はいい歌詞だらけのRADWIMPSの曲の中でも特に聞いた時の衝撃がすごく、特におすすめしたい歌詞フレーズを厳選して紹介する。
(随時更新しています)
(BUMP OF CHICKEN・Mr.Childrenの厳選歌詞フレーズ集も読んでほしいです!)


なんでもないや
君のいない世界にも 何かの意味はきっとあって
でも、君のいない世界など夏休みのない八月のよう
君のいない世界など笑うことないサンタのよう
君のいない世界など
『君の名は。 』の主題歌の1つである『なんでもないや』の、「君がいない世界なんて味気なくて、つまらなくて、やっていられない」ということをとても斬新で可愛らしく表現したこのフレーズ。
「夏休みのない八月」「笑うことないサンタ」という比喩表現は素敵で可愛くてグッとくる。
さらに素晴らしいのは、初めに「君のいない世界にも何かの意味はきっとあって」となけなしの前向きさを引っ張りだしていること。
この言葉があると「君がいないと生きてても意味がないよ…」とただ嘆く男の言葉ではなく、君がいなくなっても痛みに耐え、なんとか意味を見つけて生きていこう、という覚悟がある立派な人間が、「でもそれはやっぱり辛いことだよ」とこぼしている心情が伝わってきて、胸により深く響く。
君のいない世界に打ちひしがれた男をマット・デイモンが演じた「幸せへのキセキ」も気持ちを温かくしてくれる素晴らしい映画だった。
アメノヒニキク
次の哀しみは何時何分?
それまでにそれまでに
次の幸せは何時何分?
それまではそれまでは
ニューアルバム『人間開花』の中で今一番好きな曲。
このフレーズからは「あきらめ」を僕は感じる。
野田洋次郎さんのソロプロジェクト「illion」の『Water lily 』という曲に、
「僕らどこへでも行けると 調子のいいことでも言おう」
「僕ら何にでもなれると とびっきりの嘘でも言おう」
という歌詞が出てくるが、それを聞いたときも同じように「あきらめ」を感じた。
「僕ら」はどこへでもは行けないし、何にでもはなれないと認めている歌詞だからだ。
この『アメノヒニキク』も、哀しみはできれば味わいたくないけど、それは無理だと気付いているような歌詞。でもこの「あきらめ」が最近すごく気持ちいい。
叶わないことを願うのは苦しい。それよりも、その時は苦しくても自分にできないことや、「この世界では不可能なことがある」ということを認めて、その中で楽しくやっていく方がずっと気持ちいいなぁと、最近よく思うからだ。
次の哀しみが来るまでに、できることをして、次の幸せがくるまでは、なんとか踏ん張ってやっていこうと思う。
僕はそう解釈したけど、他にも色んな解釈ができる、魅力的なフレーズ。
ピクニック
「無様にもほどがある」 遠くで誰かが言う
じゃあ誰に教わればいい?
はじめて生まれたんだ
誰かを批判する時にまるで正解があるかのように文句を言ってしまうことがある。「あいつは間違っている」と。
しかしよく考えると、相手が間違っているのでなく、自分の考えと違うだけだということに気が付く。
大人も子供も関係なく初めて生まれた人生初心者なんだとこの歌詞を聞くと気持ちが改まる。「無様にもほどがある」と人に言ってしまう側にはなりたくないなぁ、と。
そういえば昔、島田紳助さんが子供に「お父さんもお父さんやるのは初めてだ。だから間違うこともある。」と言ったという話を書いていてふと思い出した。
「初めてだから」ってすごく吹っ切れる言葉だなと思う。
この曲が主題歌になっている野田洋次郎さん主演の『トイレのピエタ 』も切ないけれど希望があって、大好きだった。
トイレのピエタ – Amazon Prime Videoで観る
me me she
僕の好きな君 その君が好きな僕
そうやっていつしか僕は僕を大切に思えたよ
野田洋次郎さんの書く詞はとても数学的だと思う。
「僕は君がすごく好き。じゃあそんな僕がすごく好きな君が好きになってくれた僕もきっと素敵なはずだ」という感覚は「X×YはXYだからY×XもXYだよね」という感覚ととても似ている。
僕は幼いころから苦手ということもあって数学が嫌いだった。
いかにも子供っぽいけれど、数学はなんか冷たい感じがしたからだ。
しかし『ビューティフル・マインド 』という映画を観て数学に対しての見方がガラッと変わった。
主人公である実在したノーベル賞受賞科学者のジョン・ナッシュが言った「試みを繰り返すたびに成功の確率は、劇的に上昇する」というセリフに感動したからだ。
そこには情熱があったし、さらに科学的根拠がある数学的な言葉は「努力はきっと報われる!」なんてあいまいな言葉よりもずっと勇気をくれた。
数学的な言葉は一見理屈っぽいが、感情的な言葉よりも信頼できることが多い。
ドリーマーズ ハイ
悲しみに優しさ足すと平和に
平和に痛みを足すと怒りに
怒りに温もりを足すと涙に
涙に涙足すとカラカラに
その声に心を足すと言葉に
言葉に愛を足すとたちまちに
あぁ すべてを足して僕たちで
割れば世界に
me me sheで野田洋次郎はとても数学的な考えをすると話したが、その典型なフレーズ。
アジカンのゴッチが『ワールド ワールド ワールド 』というアルバムを発表したあとのインタビューで、
「僕たちが言う「世界」には三種類あると思う。1つは主観的な世界で、2つ目は客観的な世界、そして3つ目は僕たちが客観的とか言っている次元を飛び越えた、超客観的な、真実としてそこにただある世界」
というようなことを言っていたが、この曲の全てを足して僕たちで割った世界とは1つ目と2つ目の世界のことだ。
3つ目の世界は真実としてそこにあるんだけど、それは壮大すぎて僕たちは一生掴めないだろう。結局僕たちは自分の中からでしか世界を見れない。だから、全てのものを足して僕たちで割ったものがそのまま僕たちの世界なんだな、と感じた。
「その声に心足すと言葉に」は、なるほど、と考えさせられた。
シュプレヒコール
語り継がれた物語は いつも終わり方は決まっていた
「そして彼らは いついつまでも 幸せにくらしましたとさ」
ちょっと待ってよ知りたいのは
その続きだよ 守りたいのは
やっと手にしたハッピーエンディングを
枯らさずに咲かせとくカプセルを
130曲以上あるRADWIMPSの曲の中でも僕がトップクラスに好きな曲がこの『シュプレヒコール』だ。
歌詞も全て素晴らしいんだけど、特にこのフレーズは僕が心のどこかで感じていた気持ちをはっきり言葉にしてくれたようで嬉しかったのを覚えている。
ハッピーエンドの映画を観た時に、「幸せな結末で本当によかった。でもその後も主人公たちはこのまま幸せでいれたんだろうか…」とよく考えてしまう。
最近では『シング・ストリート』という映画を観たときだ。素晴らしい映画で、美しく感動的なラストも最高な映画で、今年観た中でも特に好きな一本だ。それだけに主人公達のその後が心配になってしまった。
できれば主人公のコナーとヒロインのラフィーナには2人でずっと幸せでいて欲しい。
「めでたしめでたし」ではなく、その後も2人がずっと幸せでいれる方法を知りたくなってしまう。
なぜなら僕たちが生きている現実は、ハッピーエンドどころか、そもそもエンドすらなく、嬉しいことが来て悲しいことが来ての繰り返しだってことを、みんな知ってしまっているから。
宇多田ヒカルの復活アルバム『Fantôme 』に収録されている『二時間だけのバカンス』という曲の椎名林檎のパートの出だしで、
「おとぎ話の続きなんて誰も聞きたくない」
というフレーズがあるが、きっとめでたしめでたしではない状況がまた来てしまうということをどこかでみんな感じているからだろう。
しかしこの『シュプレヒコール』という曲のラストで歌われる、
「さぁいざ 甘んじて受けましょう 主文 懲役僕の生涯を 命を賭し命の刑期を」
「とっくに枯れ果てた涙腺を 揺らし続ける君の存在も ごちゃ混ぜになったまま 瞬く世界」
という歌詞を聞くたびに「とにかく生きていこう」と不思議と心がすっきりする素敵な曲だ。
夢見月に何想ふ
若かりし頃に 戻りたまふと 願わん君の愚かさに
今までの全ての言葉と出会いは 己を恥じて時を呪う
昔に戻りたいと誰もが一度は考えたことがあると思う。僕も昔に戻れたらやり直したいことなどをよく考える。
しかし、
「高一に戻ってやり直してー!!」
と考えることは、
「高一以降の人生変えてー!!」
と考えることであり、無意識に高一以降に出会った友達や彼女をいらないと言ってしまっていることになる、ということにこの歌詞を聞いてから気付いた。
「人間関係はこのままで自分だけを変えたい」と思っても、人と人との出会いとは、隕石が家のトイレの中に落ちるぐらいのとてつもない偶然でできているらしいので、過去に戻って少し行動を変えただけで出会えなくなってしまう人や仲良くなれなくなってしまう人もたくさん出てくるはずだ。
そこまで考えると、「それは悲しいから今のままでいいや」とある意味前向きになれる。今を少しずつ変えていけばいいか、と。
過去を少し変えることで未来が全く違ったものになってしまうことを描いた『バタフライ・エフェクト 』という映画が素晴らしいので、すごくおすすめ。(2と3はイメージが崩れるのがイヤで観てないです。それぐらい好き。)
でも「昔に戻ったら、今持っている知識を総動員してあの子とうまく付き合えるようにしたいなぁ。グヘヘ」と妄想することは楽しくてやめられないですよね。
オーダーメイド
少し不機嫌な顔のその人は
また仕方なく話し始めた
「1番大事な心臓はさ、両胸に付けてあげるからね。いいでしょ?」
またまたぼくはお願いしたんだ
右側の心臓はいりません
わがままばかり言ってすいません
生まれる前どこかの誰かに、「どんな感じで生まれたい?」と尋ねられたんじゃないか?というユニークな発想の曲『オーダーメイド』。
このフレーズは、まるで携帯ショップでiPhoneの機種変更をする時に、「iPadも一緒にどうですか?パソコンお持ちでないなら一台あった方がいいですよ?」と勧めらるかのように、両胸に心臓をつけることを勧められ、それを断っているシーンだ。(余談だけど、僕の奥さんはiPhoneの相談にいっただけの携帯ショップから、ウキウキした顔でiPadを購入してきていた。すごく嬉しそうだったので、何も言えなかった。笑)
もちろん今心臓が左側に一つしかついていないことから逆算して作り上げた歌詞なんだけど、いろんなことを肯定する力をくれる。
「理由なんて後付けでいいんだ」と。
例えば、とても辛い失恋をして、その後に出会った人が最高の彼氏(彼女)になったなら、「この人に出会うためにあの失恋はあったんだ」と思えるように、諦めなければどんなことでもきっとあとで肯定できるようになる。
「そうか、こうなるように僕は生まれる前から今の自分を選んだんだ」と生まれる前からひっくるめて、全てを肯定しようとしている素晴らしい歌詞。
ハンターハンターの317話 でメルエムとコムギが「この瞬間のために生まれてきたんだ」と気づくシーンは何度見ても鳥肌が立ちますね。
狭心症
泣いちゃいけないなら 僕がいけないなら
涙腺などとうに切っといてよ
生まれた時にさ へその緒の前にさ
ついでに口横に裂いといてよ
RADWIMPSの曲の中で『五月の蝿』と並んで最も衝撃的な歌詞の曲がこの『狭心症』だ。
このフレーズは前述した『オーダーメイド』と重なるところがある。
『オーダーメイド』では、「今の自分になるように全て選んで生まれてきた」という物語を通して、自分の体や機能全てに意味があることを歌っていた。
『狭心症』では、そんな自分の生まれもった機能を否定してくる世界なのか社会なのかに対して、「僕の生まれ持ったものをダメだって言うなら、生まれた時にダメじゃないようにしとけよ」と憤っている。
何か意味があって持っているものを否定するなと。ダメだと言われたって、もう持って生まれてきた後なんだから。
人間がもしも涙腺を持たず、口が横に裂けている生き物だったとしたら、野田洋次郎さんは「いつでも笑っていられるように 生まれる前僕は 口が裂けているように自分をオーダーメイドしたんだよ」と歌っていただろう。
25コ目の染色体
次の世の僕らはどうしよう
生まれ変わってまためぐり合ってとかは
もうめんどいからなしにしよう 一つの命として生まれよう
そうすりゃケンカもしないですむ どちらかが先に死ぬこともない
僕がRADWIMPSを知った曲。
「ここまで人のことを好きになれるもんなのか!」と歌詞に衝撃を受けた。
「生まれ変わってもまた出会いたい」というセリフは何度も聞いたことがあったけど、「生まれ変わってまた出会うのとかめんどいからもう来世では1つの命として生まれよう」なんて言い切りが衝撃的でかっこよかった。
このフレーズのようにネガティヴなイメージの言葉をプラスに変え、かっこよく使ったセリフが大好きだ。
Mr.Childrenが「どうせ」という言葉を最高にかっこよく使った、『しるし 』という曲の、
「ともに生きれない日が来たって どうせ愛してしまうと思うんだ」
というフレーズは胸が熱くなるし、『ワンピース』の152話 でルフィが悩むチョッパーに言った、
「うるせぇ!!行こう!!!」
というセリフには泣いてしまった。
「めんどい」という言葉をネガティヴな言葉をすごくかっこよく使ったこの『25コ目の染色体』も間違いなく感動的な名曲。
いえない
言えない 言えないよ
今君が死んでしまっても 構わないと思っていることを
一見最低なことを言っているように見える歌詞だが、「このまま行くと、いつかお互いが冷めてしまう日が来るけど、今君が死んでしまったら僕の中で君は永遠になる。」と相手の気持ちが離れてしまうことや、なにより自分の相手に対する情熱が冷めてしまうことを恐れている極端なラブソングだ。
普通は、そこにどんなに意味があっても、「君が死んでしまっても構わないと思っている」という言葉はなかなか使えるものじゃない。
「絶対君に(または君が僕に)冷めないようにするにはどうしたらいいのか?」と突き詰めて考え、この結論まで行き着き、そして言葉にしてしまえることがとにかくすごい。
どこまでも突き詰めて考えれる人の精神力と体力に圧倒される。世界中に溢れる、どこかで聞いたようなありきたりな言葉だらけのラブソングとは次元の違うフレーズ。
村上春樹の『ノルウェイの森』を初めて読んだ時、読後に最初の告白を思い出すと衝撃を受けたことを思い出した。
DADA
なぁなぁなぁなぁなぁなぁにしないで
もんもんもんもんもんもんとさせないで
まぁまぁまぁまぁまぁまぁにしないで
とんとんとんとんとんとんと行かないで
僕のような普通の人と、野田洋次郎さんの違いがわかりやすく出ている歌詞。
「なぁなぁ」で終わらすことはできないし、「まぁまぁ」とうやむやにするのも嫌で、「もんもん」としたまま過ごすなら何か答えを見つけたくて、「とんとん」と先には行けない人だからこそ、何事にも疑問を持って、突き詰めて考え、斬新な視点の歌詞を野田洋次郎は書くことができるんだろう。
しかし、その代わりに辛いことも多いと思う。
村上春樹さんが『「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? 』という本で「どうすれば自分の頭で考えられますか?」という相談者からの質問に、
「自分の頭でものを考えるというのは、かなり疲れます。しんどいし、面倒だし、まわりの人達とうまく歩調があわなくなったりします。そういう意味では、いちいちアタマなんか使わずに、みんなと同じことをしていたり、誰かにかわりに考えてもらったりしていたほうがずっと楽です。」
と答えていた。
野田洋次郎さんの生き方はなかなか辛そうだ。

だいだらぼっち
一人ぼっちと一人ぼっちが 集まってできた
この世界
寂しいことなんかない 一人ぼっちなんていないよ
一人ぼっちになんてなれないから
友達も彼女も家族もいたとしても孤独を感じることはある。そして自分が感じるということは、きっと多くの人が感じる感覚なんだろう。
多くの人が「一人ぼっちだ」と感じることがあるなら、全然一人ぼっちじゃない。みんなその感覚を共有してるんだから。一人ぼっちだと感じるのは自分一人だけじゃないんだから。と伝えてくれるフレーズ。
水野敬也さんの「夢をかなえるゾウ2 」で悩んでいる主人公に、成功の神・ガネーシャが「本を読め」と言うシーンで、
「仕事、お金、人間関係、幸せ…人間の悩みなんちゅうのはいつな時も同じや。そんで本ちゅうのは、これまで地球で生きてきた何億、何十億ちゅう数の人間の悩みを解決するためにずっと昔からつくられてきてんねんで。その『本』でも解決でけへん悩みちゅうのは何なん?自分の悩みは地球初の、新種の悩みなん?自分は悩みのガラパコス諸島なん?」
と言っていたのを思い出す。
この広い世界と長い歴史の中で、自分だけが持っている悩みなんてない。
「この悩みは自分しか持っていない」と思っている人はきっといっぱいいるんだろう。良くも悪くも、完全にひとりぼっちになることは不可能なんだなと、優しく教えてくれる素敵なフレーズ。
ソクラティックラブ①
君は僕が愛しいと言うけど それは僕の何をさすのだろう?
僕を僕たらしめるものが何なのか教えてよ
例えば
顔が半分に 腕が二、三本に 目が五等分にちぎれちゃって
脳みそが隣人に 声が宇宙人に アレが人参に
変わっちゃっちゃったとしても 君は僕だと言えるの?
僕の何が残っていれば僕なのだろう?
どこまでの変化なら「僕」だと言えるのかを、「君」に尋ねる究極の問い的フレーズ。言葉選びにユーモアがあるところも素敵。
『フェイシズ 』という映画でミラ・ジョボビッチ演じる主人公が、連続殺人鬼に襲われ、なんとか逃げ出して一命を取り留めるも、橋から落ちたショックで「相貌失認」という、人の顔が判別できない症状になってしまっていた。恋人や家族の顔さえわからなくなってしまった彼女は、恋人に抱きしめられることにも違和感を感じてしまう。
見た目が変わっても、中身が変っていなければ、自分は自分のことを「僕だ」と認識できるが、自分以外の人はなかなか難しいのかも知れない。
それと『教団X 』という小説で知って驚いたんだけど、ベンジャミン・リベットという科学者による有名な実験では、人間は何かをしようと意思を起こす時、実はその意思を起こすよりも前に、本人も気づかないところで、すでに脳のその部位が反応しているという結果が出た。
つまり指を動かそうとする意思よりも先に、その指を動かす役割がある脳の神経回路が反応しているということらしい。
脳が指を動かそうとした、0.35秒後に、自分の意識が指を動かそうという意思をもつということみたいで、つまり意識っていうのは、脳の活動を写すだけの鏡みたいなもののような可能性がある。
「自分」とはなんなのか全くわからなくなりますね。
ソクラティックラブ②
無理やりでもその点と点を 繋げて あの星座みたいに
その心の形をわかった気にさせて
ペガサスも孔雀もオリオンも 言われたって んなの分かんないよ
乙女も牛もヤギもコンパスも どれ一つそうは見えないんだよ
あのあたりが時計の針だって どっから見ても無理があんだろう
もしもあれが双子の一人だって 言うならば俺はもう何だって…
多くの人が思っていたことをはっきりと口に出してくれたフレーズ(笑)
映画『GO 』で窪塚洋介演じる杉原が言った、
「ライオンは自分のことライオンだなんて思ってねぇからな!お前らが勝手につけた名前じゃねぇかよ!」
という言葉を聞いて自分の中になかったその考えにハッとしたことを思い出す。
星座の形がその名前通りに見えることなんてまずない。
しかし一度名前を付けられた星たちは、その星座として認知されていく。
これは星に限った話ではなく、人間も同じだ。日本という場所に生まれれば「日本人」と名付けられるし、1987年以降に生まれただけで「ゆとり世代」と名付けられる。人には無理やりにでも点を繋げて形にし、名前をつけて、わかった気になりたい習性があるんだろう。
逆を言えば、アジカンが『ノーネーム』という曲で、
淡く 淡く光る 気が遠くなるほど遠いあの星も
空で集い そして点と線で絵になり 名前が付いた
そうなんだよ 名前をくれよ
と歌っていたが、自分(人生)に名前(意味)が欲しいと思っていても、どうせいつか誰かが勝手に名前をつけてくれるということだ。だから自分の人生の意味だのなんだのは人任せにして好きに生きようかなぁというふうにも思える。
ちなみにこの間、ハワイ島のマウナケアという、4000m以上ある山で星をいつもより近くでハッキリと見たら、さそり座は結構さそりに見えました。


パーフェクトベイビー
君の願いが少しでも
叶えばいいとはそりゃ思うけども
叶わなくともいいだろう
今日はそんな気分なんだよ
この曲のこのフレーズを聴くと、不思議といつも少しワクワクする。「願いが叶わなくてもいい」と心から思える自分になっているところを想像するからだ。
『ぜんぜん気にしない技術 』という本で、「やりたいことがない」という悩みをもつ相談者に対して、家入一真さんが「夢や希望もただの荷物でしかない」と言っていて衝撃的だったのを思い出す。
「夢や希望を持ったところで、それらはその人の人生を保証してくれるわけではない。夢や希望が糧になることもあるかもしれないが、足をひっぱることも多いからだ」と説明していた。
確かに夢や、叶えたい目標は『荷物』でもある。
それが叶えば素晴らしいけれど、叶わなかった時に落ち込んだり、下手をすると絶望してしまうこともあるかもしれない。そう考えると、かなり重い『荷物』だ。
それよりも、「まぁ叶わなくてもいいか」と思えるほど、日々が充実しつつも気持ちがリラックスできている状態を想像すると「それ最高に幸せそうだなぁ それもいいなぁ」と思えて、少し肩の荷が降りて楽になる。
でも「叶わなくてもいいや」って無欲な時に、意外と願いって叶ったりしますよね。
ブレス
触れたら壊れてしまいそうで
触れなきゃ崩れてしまいそうな
だけどそれでも 僕は手を伸ばすよ
壊れても拾い集めるよ いいだろう?
たまにどちらを選んでも後悔しそうな二択にぶち当たる。
どちらも選びたくない。でもあらためて考えると、勝手に二択にしてしまっていたのは自分だった、なんてことがある。
この『ブレス』という曲でも、触れたら壊れそうだけど触れなきゃ崩れてしまいそうな君をただ見守っている男がでてくる。
しかし「それでも触れたい。壊れたって拾い集める。」と触れるべきか、触れないべきか、という二極論を飛び越え、例え傷つけても覚悟をもって君に触れる、と決めた勇気が語られるこの歌詞はとても感動的で、メロディーの盛り上がりと合わさって鳥肌が立つ。
このフレーズのように行き止まりに見えたものを知性と勇気で飛び越え、新しい答えにたどりつけるような人になっていきたい。
『ギャングキング』という漫画で、病気のお姉ちゃんの治療費を稼ぐため、高校に行かず、やりたかった音楽もあきらめて掛け持ちで仕事をしているベロくんというキャラクターが、「これからは仕事終わりに一時間でもギター弾く。疲れてたら週末だけでも弾く!」とお姉ちゃんも自分の夢も両方大事なんだ、と気付くシーンを読んでいて感動したのを思い出しました。
大事なことは、極端と極端の間にあるんですよね。
ます
あなた一人と 他全人類 どちらか一つ救うとしたら
どっちだろかな?迷わずYOU
ただ、「超・野田洋次郎なフレーズ」とだけ言いたいフレーズ。
この歌詞に共感or感動できる僕の仲間は、世界で話題をかっさらったゲーム原作のドラマ『The Last of Us』を今すぐに観て欲しい。
愛情の美しさと怖さを、これほど残酷に見せつけてくれる作品はなかなか無いので、今すぐに、このブログを閉じて一気見してください。
『【動画】THE LAST OF US』- U-NEXT
透明人間18号
愛さないで 愛でよう
探らないで 探そう
語らないで 喋ろう
歩まないで 歩こう
愛さないで 愛でよう
飾らないで飾ろう
変わらないで 変えよう
失くさないで 捨てよう
RADWINPSの歌詞の中でも特に好きなフレーズ。
言葉が少し変わるだけでこんなにイメージが変わるのが面白い。
すごく個人的な印象だけど、「愛する」という言葉からは、少し気取ってかっこつけているような、自分に酔っているような印象を受ける。でも、「愛でる」は犬や子供を無邪気に可愛がっている感を感じる。
「探る」は人を疑ったり、人の嫌なところを見つけようとしているようなイメージを受けて、「探す」になると大事なものを見つけようとしている様子が浮かぶ。
「語る」からはどこかで聞いた話を自分の考えのように話しているやつや、酔っ払って自分の考えを喋り倒しているおっさんのイメージが浮かんできて、「喋る」は友達や恋人とお互い対等で、楽しく話しているイメージになる。
「歩む」からは肩に力が入っているような印象を。「歩く」からはフラっと散歩しているようなリラックスした印象をうける。
面白い。
ざっくりまとめてこのフレーズを、僕は「かっこつけたり、気取ったり、人より上に立とうなんてしないで、素直に普通に行こうやなぁ」というふうに解釈した。
映画「ファミリー・ツリー 」や「ネブラスカ
」などの、アレクサンダー・ペイン監督の作品を観た後に感じる、「普通でもいいから素直に生きて行こうやなぁ」という感覚と似たものを感じれて嬉しい。
夢番地
叶えたい夢ばかり数えて
叶えた夢は泣きながら きっとどこかへ
…
叶えた夢の数を数えよう
叶わない夢は 誰かがきっとどこかで
叶えた夢を数えることはなかなかない。叶えてしまった時点で当たり前のものになってしまって輝きが少なくなってしまうからだ。
『夢番地』を初めて聞いた時、「叶えたこと達に申し訳ないー!!」と思ったのに、すぐに忘れて、また聴くたびに「忘れてたー!申し訳ないー!!」となる。
夢とはいえない、買い物の話になってしまって恐縮だけど、二ヶ月前くらいに、ずっと欲しかった岡村製作所の『コンテッサ 』という、いい値段のするデスクチェアを購入した。
買った当初は嬉しくて、衝撃を与えないよう、ゆっくりと座ったりするほど大事にしていたが、今ではデニムやジャケット置き場としても使ってしまうほど、ゆるゆるになってしまっている。
もう今はそんなことより、事務所の前に毎日降ってくる落ち葉を吹き飛ばしたり吸い込んだりできる、エンジン付きの『ブロアー バキューム 』が欲しくてしかたがない。
でもこれも購入したら、だんだん当たり前のものなっていって、雑に扱うようになっていくんだろう。そうなる前に、今までに購入した、欲しかったものの数をまず数えたい。
水野敬也さんが昔ブログで、「デスクから見える位置に、叶えたい夢や目標を書くことも大事だけど、叶えた夢や達成した小さな目標も一緒に書いておくと、モチベーションがかなり上がることに気付いた」と言っていた。
なんか最近自分がギスギスしていると感じたら、叶えたいことは一旦忘れて、今までに叶えたことを思い出すようにしてみる。
おしゃかしゃま①
僕は見たことないんだ
あちらこちらの絵画で見るんだ
さらに話で聞いてる神様は
どれもこれも人の形なんだ
偶然の一致か運命の合致
はたまた自分勝手スケッチ
あっち こっち そっちってどっち
一体どうなってるんダ・ヴィンチ
神様がいるかいないかは考えたことがあったけど、いたとしたら人の形をしていることに疑問をもったことなんてなかった。
でもこう言われると今まで疑いもしなかった自分が少し恥ずかしい。
人の形をしていて当然と思っているなんて、この曲でも歌われているように、「何様なのさ」だ。
僕のような小市民は権威に弱い。
あの世界的にすごいと言われているレオナルド・ダ・ヴィンチさん相手に「それ本当ぅ〜?」なんてなかなか思えない。
完全に想像力も思考力も野田洋次郎さんにボロ負けしているのが浮き彫りになったようで悔しい。
でもこんな風に新しいものの見方を発見させてくれるところが野田洋次郎の歌詞のすごさだ。
「一体どうなってるんダ・ヴィンチ」とシャレが聞いているところも最高。
おしゃかしゃま②
来世があったって 仮になくったって
だから何だっていうんだ
生まれ変わったって 変わらなくたって
んなことどうだっていいんだ
天国行ったって 地獄だったって
だから何だっていうんだ
上じゃなくたって下じゃなくたって
横にだって道はあんだ
神様を本気で信じたことなんかないくせに、何かあると神社にお参りして、願いごとをしてしまったりする僕からすると、とてもかっこよくて憧れてしまうフレーズ。
『天国行ったって 地獄だったって だから何だっていうんだ』なんて、「バチが当たって地獄にいかされちゃったら…」とか考えて僕は言い切れない。笑
自分なりの考えをしっかりもって、「自分はこうですたい」と言い切れるようになって行きたい。「バチがあたるー!」と恐れる人達を横目に不敵な笑みで、「おれは神様に祈ったことはない」と言い切った、ワンピースのゾロみたいに。
最大公約数
別れる理由3つあるなら
別れない理由100探すから
ただただかっこいいフレーズ。
「あなたのそういうところが合わないの。別れましょう」と言われたら、引き止めるために「直す直す!直すから!」と言ってしまいそうなもの。そこで「でもこことかここはすごい合ってるよね」と言えたらかっこいい。
まぁ実際はもう別れたい気分になっている相手を引き止めるのは、別れない理由を100コ見つけたとしても難しいとは思ってしまうけど…
それでもこの心意気はやっぱりかっこいい。夢や目標にだってこの心意気で挑みたい。
叶わなそうな理由が3コあるなら、叶えられそうな理由を100コとはいかなくても4コぐらい見つけよう、ぐらいの気持ちで挑めばきっと楽しく生きられる気がする。
少し話は違うけれど、映画「ヒメアノ~ル」でムロツヨシ演じる不気味な先輩「安藤」が、「おれは何度フラれてもあきらめないつもりだよ」と言っていたのが絶妙に怖くて笑ってしまった。
リユニオン
友達の意味なんか おれは知らないけど
もしもこれが違うのなら いらないや もう知らないや
野田洋次郎得意の「言い切り」の中でも、この言い切りは特にかっこいい。
僕はヒップホッパーの人達がよく言うような、「おれ達マジ仲間」的な熱い友情を聞かされると、「ぼくと友達たちとの繋がりって、この人たちに比べたら薄い気がするなぁ。これって友達とはいえないのかなぁ」と少し自信がなくなってしまうことがある。
しかし人がどうだろうと関係なく自分がそう友達だと思うなら、この『リユニオン』の歌詞のように自信をもって言い切ってしまおうと思える。そうされたら僕もきっと嬉しいから。
僕が「そんなの知るか精神」で感動したことが、ラッド意外でもう1つある。
Coldplayの『Coldplay-Live 2012 』というLive DVDのインタビューで、ボーカルのクリス・マーティンが「もっとクールに演奏すれば?とよく言われるけど、そんなの知るか。何万人ものオーディエンスを楽しませようと思ったら、カッコつけてる暇なんてないんだ。」と言っていたのを聞いた時だ。
自分の頭で考えたことを信じて、人の意見に揺るがない強さを持っている人はそれだけでかっこいい。
カタルシスト
勝つか負けるとかじゃないとか
勝ちよりも価値のあるマッチだとか
言いたいこたぁわからねぇでもねがオイ
勝たなきゃ始まらにゃなこともあるワケであるのだからさ
つまるところ要するに 今は御託並べずに がむしゃらに勝ちにいく時
ここ2、3年で聞いたラッド以外も含めた全ての楽曲の中で一番突き刺さったフレーズがこのカタルシストの出だしのフレーズだ。
「失敗は成功の母」という言葉があるぐらい、負けること(失敗)には価値がある。そこから経験を得て次の糧にできるからだ。
しかし勝つ(成功)ことでしか得られないものはそれ以上にたくさんある、という当たり前の事実を、意外と僕たちは忘れてしまいがちだ。
これは頑張ることや努力することが、なんなら結果よりも語られることが多いこの日本という国の体質の影響かもしれない。
ワールドカップの話でいうと、日本の三試合目だったポーランド戦の試合終盤、日本がパス回しで時間を潰し引き分けに持ち込み、決勝リーグ進出を決めたことで、賛否両論が巻き起こった。
選手達は「仕方がなかったとはいえあの戦い方は情けない」という意見をたくさんの人に言われていた。
しかしダウンダウンの「本音でハシゴ酒」という番組に乾選手が出演した際に、松本人志さんが「あのパス回しがあったおかげで、ベルギー戦の素晴らしい試合が見れたから、あれはあれで良かったんだと思った」というようなことを言っていた。
松本さんがそう思ったのも、乾選手がこうして番組によばれたのも、日本代表選手達の移籍金が跳ね上がったのも勝ち上がったからだ。
今自分が大事な勝負どころならば、御託並べてないで勝ちに行こう。
どんな場面でも御託は無しで勝ちに行き続けた南海キャンディーズの山里さんの壮絶な努力の話が綴られている『天才はあきらめた 』も、ものすごい本だったのでぜひ読んほしいです。
南海キャンディーズ山里さんが教えてくれる絶対に成功する方法 – 『天才はあきらめた』レビュー – Why Not?
PAPARAZZI~*この物語はフィクションです~
煽って報じるテレビが悪い
こぞって食いつく世間が悪い
求められるからやっている
すごいね神様みたいだね
衝撃的なこの曲。
芸能人がマスコミを批判するところを何回かテレビで見たことがあるが、ここまで全力で「お前のやってること最低だから」と言い放つ人はいなかった。
野田洋次郎さんって本当にロックスターだ。
この衝撃的な曲の中でも特に痛快なのがこのフレーズ。
有名人の不倫だなんだって話がテレビでずっと流れているのを見ると、うんざりしてきて、イライラとしてしまう。
なぜなら、不倫よりも、人のプライバシーにガシガシと踏み込むマスコミや、聖人ぶったコメンテーター達にムカついてくるからだ。
しかし、彼らは「自分がやりたいのではなく、視聴者に求められているからやっているんだ」というもっともらしい理由をつけて「自分は悪いことはしていない」と言い訳をしてくる。
その言い訳は結構的確で、ぼくなんかだと「ぐむむ…」となってしまうんだけれど、
「すごいね神様みたいだね」
という最高な嫌味を野田さんが返してくれたことで、すっきりとした。
サイコパスな男がパパラッチとしてのし上がっていく『ナイトクローラー』という映画が、「本当にパパラッチ(マスコミ)という仕事は許されるのか?本当にこれでいいのか?」と考えさせられるし、めちゃくちゃ面白いので観て欲しいです。
ikijibiki
成功者の参考書
端から端まで読破して
いざ駆け出した街へとへとへとへとへとへとへと
ONE OK ROCKのTakaとフューチャリングしたことでも有名な曲『ikijibiki』の、このフレーズに僕はやられてしまった。
成功者の参考書(ビジネス本や自己啓発書)を僕はたくさん読む。
役にたつこともたくさんあるけれど、それで何かが劇的に変わったかというとそんなことはない。
結局は自分の行動のみでしか変われないからだ。
良い本に出会って、「これはすごい本だ!変われる気がする!!」と思っても、結局その本の作者のような能力があるわけではないので、実際に行動には移せずに「ヘトヘト」になることもしょっちゅうある。
有吉弘行さんが『お前なんかもう死んでいる』という本で書かれている、この「成功者の参考書」についての話が、めちゃくちゃ面白かったので引用します。
有名社長の成功体験とかを読んで、「この人もできるんだからおれもできる!」なんて勘違いしちゃいけないんですよ。
普通の人ができないことをやったから本書けるっていう根本的な部分があるわけで。
それを参考にしても全く意味ないんですよね。
すごい説得力。
本を読むだけでは何も変われないので、読書というインプットと行動とうアウトプットの比率は3:7ぐらいをキープしていきたいですね。
Never Ever Ender①
世に溢れるは 成功者達の言葉
いつだって
敗北者にマイクは向けられない
前述した『ikijibiki』と少し似たような話になるけど、このフレーズを聞いてから、僕が本やテレビで見たり聞いたりする言葉って大体が成功者達の言葉なんだっていうことに気付いた。
マイクを向けられない敗北者達の言葉は成功者達の何倍もあるのに、無いもののようにされてしまう世の中に少し寂しくなる歌詞。
このフレーズの余韻が残ったまま、伴奏に入るんだけど、そこの演奏と重なって歌詞が胸に染みてくる、大好きなポイント。
音楽ってすごいと思える。
それと、余談だけど、成功者の言葉を聞いて、参考にできるのならいいけれど、「あの人はすごい。自分にはできない。」と自分と比較して、落ち込むきっかけになったりすることもあると思う。僕はけっこうあった。
しかし、そんな成功者達の言葉には「自分をよりすごく魅せたい」という思いや、「本人も気がついていない勘違い」があったりするので、真に受けて落ち込んではいけないことに最近は気付いた。
これは『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』という本を読んで、すごく納得できたこと。
注意しなければいけないのは、成功者は「自分のやり方が正しかったから成功したのだ」というフリをしたほうが、圧倒的に得だということだ。
ひとたび成功した人が、何度も成功するのは、「その人のやり方が正しかったから」ではなく、「『その人のやり方が正しかったからだ』と、人々が錯覚するから」なのだ。
人生を生きやすくするために「人にすごいと思ってもらえるテクニック」や「すごいと思わせられることを防ぐ方法」をわかりやすく教えてくれるので、おすすめの本。
そして、この野田洋次郎さんの素晴らしい歌詞でさえ、「成功者の言葉」の一つだっていう事実にもまた考えさせられてしまう
Never Ever Ender②
あの鮮やかに光るは
この手を目一杯に
伸ばした指先 かすめてく世界
こんな夜は君といれたら
届きそうな気がした
今32歳の僕だけど、今まで一体いくつのチャンスを逃してきたかわからない。
その中から一つでも掴めていれば、今よりも「鮮やかに光る」世界になっていたんだろうなぁとどうしても考えてしまう。
最近も、あと少しというところで億万長者になりそこねたりした。

チャンスや希望はいっつも指先をかすめて、どこかに行ってしまって悲しい。
でも、この切なさは今以上を望む気持ちがある限り、ずっと続いていくし、味わい続けることになる感覚だ。
つまり、結局は波みたいに上がって(期待して)下がって(失望して)の繰り返しをしていくしかない。
そう考えると、その間もずっと近くにいてくれる人がいるってのは超心強い。家族でも、友達でも、恋人でも。
そんな、誰かのおかげで「届きそうな気がする(もう一回期待してみる)」という気持ちになれているという情景が、この短いフレーズを聞くだけで浮かんでくる素敵な歌詞。
会心の一撃
就職試験の合格通知
面白い人間の不合格通知
宇多田ヒカルさんの『Keep Tryin’』という曲の「将来 国家公務員だなんて言うな 夢がないな」という歌詞とシンクロするこのフレーズ。(宇多田さんのこの歌詞は、発表からずいぶん時間がたってから「公務員をバカにしている!」的なことで炎上してしまったが、こんな歌詞について長々と書いているブログを読んでくれているあなたはそんな浅はかな読み方しないですよね)
就職試験も、仕事が始まってからも、とにかく「茶番」の連続。
そんな「茶番」をちゃっかりと演じれる自分は、この歌詞通り、面白い人間ではないなぁと感じる。
イヤな上司にイライラしたり、週末にテンション上がったりする「普通」の生活。そして「普通」と少し見下しながらも、仕事はやっぱり大変でクタクタになっている(文系出身なのですがガッツリ理系の仕事)。
それでも30代半ばになったにも関わらず、未だに圧倒的で感動的な未来への憧れは捨ててない。延長22回二死満塁からの逆転ホームランを狙って、この曲を聴きながら、日常の合間に奮い立ったりしてます。
社会人に限らず、人生を楽にするには「茶番センサーを捨てて、茶番に簡単に乗っかれる気持ちを作っておこう」という、新鮮なアドバイスが書いてある『発達障害サバイバルガイド――「あたりまえ」がやれない僕らがどうにか生きていくコツ47』という本がすごく参考になりました。
愛にできることはまだあるかい
諦めた者と 賢い者だけが
勝者の時代に
どこで息を吸う
・・・
愛にできることはまだあるかい
映画『天気の子』を観てから頭から離れない、RADWIMPSの新たな名曲『愛にできることはまだあるかい』。
その中でも特に頭から離れないフレーズがこれ。
「今の時代の勝者とは?」と考えると、この歌詞の言うとおりな気がしてしまう(何をもって勝者とよぶかは人それぞれだけど)。
そんな心が冷たくなるような歌詞の後に聞く、「愛にできることはまだあるかい?」というフレーズの切実さと、愛しさがたまらない。
この曲でも「愛の歌も歌われ尽くした 様々な映画で語られ尽くした」と歌われているように、「愛」という言葉は散々見聞きしてきた。
「愛してる」「愛されたい」「愛さえあれば」「愛は勝つ」「愛はお金じゃ買えない」。
しかし、その愛をどう使うか?その愛を使って冷たい現実を変えれるか?という一歩先に進もうとする問いかけは初めて聞いた。
感動する。(語弊力無し)

スパークル
嘘みたいな日々を 規格外の意味を
悲劇だっていいから 望んだよ
わかってます、わかってますよ。落ち着いて。
スパークルの名フレーズは、
いつか消えてなくなる
君の全てを
この目に焼き付けておくことは
もう権利なんかじゃない
義務だと思うんだ
だろ!?って言いたいんですよね?
もちろんそうですよ。
ただ、どうしても僕はこのフレーズに惹かれるんです。
それは学生時代に、なんだか毎日つまらなくて、もうめちゃくちゃ楽しいことが欲しいんですけど、それが叶わないなら、「辛いことでもなんでもいいから非日常的な出来事でも起きてくれよ!」ってしょっちゅう思ってたことを思い出すから。
そしてそんな不謹慎なことを思っている自分はなんてダメなやつなんだ!と罪悪感を覚えていたんですが、そんな気持ちをラッドの歌詞で聴けて(しかもこんなに美しい曲で)すごく嬉しかった。
32歳になった現在でも、相変わらず非日常が猛烈に欲しくなることはしょっちゅうある。実際にきたらきたで焦ると思うけど。
國分功一郎(こくぶんこういちろう)さんという方が書いた『暇と退屈の倫理学』という、僕が今まで読んだ本の中で、「読んで心からよかったと思う本ベスト3」に入る本がある。
タイトル通り、暇と退屈とはなんなのかについて、先人達の意見を紹介しながら考察していく本なのだが、「人間は退屈に耐えられない」という話が衝撃だった。
人間にとって退屈はとても辛く苦しいので、耐えることができず、その苦しみから逃れるために何かに熱中しなくては生きてはいけないという。
つまり、熱中さえできて退屈から逃げられるのならば中身はなんでもいいのだという。
本の中に出てくる例ですごく納得したのは、ウサギ狩りを趣味にしていて、これからウサギ狩りに出かけようという男に、「ウサギが欲しいならあげるよ」とウサギを渡してもきっと嫌な顔をするだろう、という話だ。
ウサギが欲しいんじゃないのにウサギ狩りをするということは、「ウサギを狩れるか狩れないのわからないというスリルに熱中したい」というこてで、退屈から逃れたいだけになる。
誰かのことを強烈に好きになることも、こうやって歌詞について考えることも、ただ退屈から逃れたいからやっていることなのかもしれない。
新世界
当たり前が戻って来たとして
それはもう赤の他人
コロナウィルスの影響で、色々なことが変わってしまった今の歌。
・今までのように外出ができなくなった
・マスクやアルコール消毒が思ったより大事なことに気付いた
・大好きだった近所の定食屋が潰れてしまった
といった日常の変化も味わったし、
・目に見えないウィルスという物のとんでもない怖さを知ったり
・疑心暗鬼になった時に人は誰かを責めやすくなってしまうことを知ったり
・仕事もお金も簡単に消えてしまうことを知ったり
・想像以上に国は僕達のことを考えてはくれないことを思いしったり
色んな変化が個人規模でも世界規模でもおこった。
「早く落ち着いて、元どおりの生活に戻れれば良いなぁ」と考えていたけれど、『新世界』のこのフレーズを聞いてから、そんなに甘い事態では無いことに気付かされたし、そんな甘い事態で終わらせていいことではないと思うようになった。
東日本大震災の時もそうだったけど、国や世界全体を揺るがす事件が起きた時には、今まで自分たちが見てみぬフリをしてほったらかしてきた歪みが吹き出して、問題点が浮き彫りになる。多くの人の悲しみと引き換えだけど。
それを無駄にしないで、きっかけに変えて新しい世界=もっと素晴らしい世界に変えて行こう、というメッセージを受けとりました。うす。
週刊少年ジャンプ
血まみれからの方がさ
勝つ時にはかっこいいだろう
少年漫画から影響を受けたことがある全ての人が共感しまくる歌詞。
ジャンプ漫画に限らず、少女漫画でも映画でも小説でも、物語から影響を受けることは誰でもあると思う。
そして誰でも、そんな理想と現実との違いにショックを受けたことがあるはず。
僕を含めほとんどの人は、ワンピースのルフィやハンターハンターのゴンみたいに、すごい一族の生まれじゃないし才能もない、銀魂の銀さんみたいに図太くないし壮絶な過去もない。
でも、そんな漫画や映画の主人公とは全然違う自分でも、「大ピンチから逆転勝ちする自分」というマンガの典型的なラストだけは、不可能ではない。少なくとも諦めずにそのイメージを持ち続けることだけはできる。
だから血まみれの状態から「敵」に打ち勝つイメージは、死ぬまでみんな持っていきましょうって思える、素敵なフレーズ。
「血まみれから」という言葉で僕が1番に思い出すシーンは『血界戦線(シーズン1)』の10巻、主人公・レオの孤独で絶望的な戦いです。

聞き飽きたような言葉ですが、どんなに辛い状況でも諦めない姿って、やっぱり感情が動かされますよね。
そっけない
なんでそんなに
素っ気ないのさ そっぽ向いてさ 君の方から誘ったくせに
俺じゃないなら早く言ってよ そんなに暇じゃないんだちょっとひどいんじゃない あんまりじゃない
恋がなんだかもうわからないんだ
君が教科書になってくれるかい
「いいよ」って 君が言うなら 暇はいくらでもあるから
「強がり」「みっともない」「ホレたら負け」恋している時に、誰もが味わってしまうこれらの感情を、このサビの歌詞1つだけで全て完全に表現している。
好きな人が自分に気がなさそうだと、強がって必要以上に相手に興味がないように振る舞ってしまう。
でも君が近づいて来てくれるなら、ひどい仕打ちを受けたことなんて忘れて喜んで君の元に行く。
さっきまでの気持ちなんて、ただのバレバレの強がりだったなんて隠そうともしないで。
本当にホレたら負けで、強がったりへりくだったらみっともない。
でもそんなとこも含めて恋愛って素敵だなって思わせてくれる、可愛くて愛おしい歌詞フレーズがとても魅力的な曲。
でも好きな人がそっけない時の気分って、実際にらめちゃくちゃ辛いんですけどね。
そんな辛い状況にも寄り添ってくれる名曲です。
【歌詞フレーズは随時追加していきます】
よかったら厳選したBUMP OF CHICKEN &Mr.Childrenの歌詞フレーズ紹介も見ていってください。


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コメント一覧 (9件)
【厳選】RADWIMPSを聴き続けて10年の僕が特に紹介したいスゴすぎる野田洋次郎の歌詞フレーズ24コ
この記事を読んで筆者の好きな音楽と映画や本が繋がって表現されていて、このサイトにしかない魅力だと思いました。応援しています。
にーもさんへ
コメントとても嬉しいです。ありがとうございます。まだまだ書きたい好きなフレーズがあるので、ちょこちょこ追加していく予定です。よかったらまた覗きに来てください。
ヒキコモリロリンなんてどうでしょうか?
パーフェクトベイビーについて。
「へその緒首からめて到着」は、赤ちゃんの生まれ方として障害が残ったり、後遺症が残る危険な生まれ方です。その前が「もう少し右」「班目になっていく視界」とあるように、まるで生まれてくる赤ちゃんの視点でのお母さんのおなかの中の「移動」の様子です。
「パーフェクトベイビー」とは「パーフェクトベイビー願望」と言われ、五体満足・障害のない子を望む親の願望です。「その手からころげおちたもの」の「その手」は誰のことを指すのでしょうか?「ころげおちたもの」はどんな「願望」だったのか?想像したら怖くなります。
「正解」をふりかざすのはやめてほしい、「0点」でもいいっていうのは、そんな「赤ちゃん」の視点だと感じました。自分はパーフェクトではない、そんな状態で生まれてきた自分が「親」に対する気持ちをうたった歌だと感じました。
同じアルバムに「おかあさんの子になんて~」とあるので、何となく「親」に対する曲だと感じました。
DIOSさん
指摘ありがとうございます。
なぜか間違えちゃってました。
こんばんは!
野田氏のリリックは何度もあたしを救ってくれた!
あと何万回の後悔で
僕は僕の期待を超えられるだろう
好きなリリックたくさんあります(*´꒳`*)
ステキな夜を!
メグミ社長さん
うわーそのフレーズもめちゃくちゃ迷ったところっす!
追加したくなってきましたー
ブリキが最高なんですが…
ななしさん
『ブリキ』も最高の一曲ですよね。
毎年3.11に発表される楽曲はどれも素晴らしく、書きたいフレーズもたくさんあるのですが、文章にするのに気力が多く必要なものが多く、後回しになりがちでした。しかし10年の節目で発表されたアルバムもやっぱり素晴らしかったので、ここに書いていきたいと最近強く思っています。『ブリキ』も書きたい曲の一つなので、追加する予定です。またのぞきにきてくれたら嬉しいです。コメントありがとうございました。