こんばんは。綱平です。
壮大な綱渡り映画『ザ・ウォーク』をIMAX 3Dで観てきました。
見どころ
地上411mのスーパー高所で綱の上を歩く、その恐怖をとことんリアルに3Dで味あわせてくれます(前半のあるシーンでは映画館にいる全員の体が動きました)。少し高所恐怖症のぼくは映画中何度もあしがすくみました。絶対に落ちることのない、安全な映画館の気持ちいいイスの上で、高所に立った時のあの足がすくんで動けなくなる感覚を味わえるというのも貴重なので、高所恐怖症の人に逆におすすめです。
1974年にフィリップ・プティというフランスの大道芸人が成し遂げた、ワールドトレードセンター綱渡りを描いた映画なんですが、実際の綱渡り映像は残っていない。そしてワールドトレードセンターがなくなってしまった今、映画でしか見れない景色を見せてくれます。
出典:City Room
この映画の一番の見どころはワールドトレードセンター綱渡りのシーンだが、そこに至るまでの話も「これ実際にあった話なんだよねぇ?」と疑いたくなるようなシーンやフィリップのエキセントリックさが満載で描かれていておもしろい。実話なのにフィクションのように楽しめる。
本来立ち入り禁止のワールドトレードセンターに忍び込むための作戦を練り、あらゆる手段でちゃくちゃくと綱渡りの準備をすすめていく過程はスパイ映画のようなハラハラドキドキの楽しさでラストの綱渡りまで引き込まれていく。
そしれいよいよの綱渡りの場面では、高所の恐怖と神秘のようなものがたたみかけてくる…
この間ずーっとぼくは足がすくんでいた。今までメガネが邪魔くさいという理由であまり3Dにハマれなかったが、こんなに恐怖まであじわえるなら、と3Dが好きになった。
観ていて実際に足がすくむほど、リアルに恐怖を感じられるからこそ、あの「神秘な感じ」を体験できるのが、この映画の一番の見どころだ。
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感想 : ぼくとフィリップの違い
フィリップはお金、時間、命、すべてをワールドトレードセンターで綱渡りをすることについやします。
はたから見たら意味がないことに、すべてを捧げることができる人種です。
ぼくみたいな普通の男は綱渡りになんか魅力を感じない。
あんな命の危険しかないようなものなぜやりたがるのかが全くわかりません。
成功したところでお金にもならないし、落ちたら死ぬ。
しかも「史上最も美しい芸術犯罪」と言われているように、「犯罪」であって、やったら成功したとしても逮捕されるは確定。
そんなことに全身全霊をかけて挑んでいく彼が、なぜかとてもかっこよくて、羨ましかったんです。
フィリップは綱渡りを始めた理由も、「綱渡りを初めて見た時すごかったから」だし、ワールドトレードセンターで綱渡りをしたくなったのも「たまたま雑誌で見かけたワールドトレードセンターにビビッときちゃったから」だし、とても直感的。
そしてその直感が感じたとおりに動きだします。その原動力はどこからくるのでしょうか。
そういえば、お金などには全く興味を示さないフィリップがもっていた欲を思い出しました。承認欲求です。
あの大ベストセラー『嫌われる勇気』で「なくした方がいい欲」として語られる、あいつです。
ワールドトレードセンターでの綱渡りという一つの目標に、すべてを捧げていくフィリップが、途中「あんな高いところでやったら伝説になれる」というようなことを口にします。
承認欲求はフィリップにもあります。
そこはぼくと同じところです。やっぱり人に認められたい。
違いがでるのは、どうやって認めてもらおうとするのか?だと思います。
ぼくが伝説になるぐらい人から認められたいと考えたとしたら、
・スポーツ選手
・ミュージシャン
・会社の社長
などを目指すと思います。どれもちゃんとお金もついてくることです
しかしフィリップは
・めっちゃ高いところで綱渡りする
の一択だったわけです。アホです。
しかし、世間一般の人がすごいって思うだろうことをとりあえずして、人に認められようとするぼくの考えとは本質が違います。
承認欲求が悪いもののように言われるのは、きっとぼくの考えかたのように、「人に認めてもらうために自分を捻じ曲げてしまう危険」があるからで、フィリップのように自分の本心からやりたいことをめっちゃバージョンアップして認めてもらうっていう考えかたなら、承認欲求はとても良い方向に働くんです。
ぼくとフィリップの違いは、承認欲求のある・なし、じゃなくて承認欲求の使い方なんだなと感じました。
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