友人に「やばい本見つけたから読んでみて」と薦められた『読書について』。
この本を読んだ時から衝撃で心がポッキリ骨折してしまっている。
読書で自分の頭で考える力が失われる
ぼくは今まで「本は読めば読むほどいいもの」だと信じていた。
偉人たちは読書の習慣があるというのはよく聞く話だし、昔から先生にも親にも「本は読んだ方がいいぞ」と言われてきたからだ。
しかし『読書について』では本を読むことへの注意警報が激しく鳴らされている。
大量の本を読んでいくと「ただの物知り」になっていき、自分の頭で考える力がなくなっていくというのだ。
・読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。
・本から読み取った他人の考えは、人様の食べ残し、見知らぬ客人の脱ぎ捨てた古着のようなものだ。
このような痛烈な言葉が、ぼくの「読書はいいことだよね〜」と思考停止していた価値観をバキバキにへし折ってくる。
・読書しているとき、私たちの頭は他人の思想が駆け巡る運動場にすぎない。読書をやめて、他人の思想が私たちの頭から離れていったら、いったい何が残るだろう。だからほとんど一日中、おそろしくたくさん本を読んでいると、何も考えずに暇つぶしができて骨休めにはなるが、自分の頭で考える能力がしだいに失われていく。いつも馬に乗っていると、しまいに自分の足で歩けなくなってしまうのと同じだ。
自分の頭で考える力を読書によって奪われていく危険性をこれでもかと伝えてくる。
今までは読書をしている時に「自分のためになること」をしているという意識があったが、この本を読んでから「自分の頭で考えるという一番大変な作業からの逃避行動」として読書をしている部分もあることに気が付く。
本を読むことは「良いこと」でデメリットなどあるわけないと思っていた自分の思考力のなさに気付かされた。
完全に読書をやめたほうがいいわけではない
ショーペンハウアーが考える、自分の頭で考えている人の読書術はこうだ。
自分で考える人は、まず自説を立てて、あとから権威筋・文献で学ぶ訳だが、それは自説を強化し補強するためにすぎない。
賢い人は、自分の頭を使って自分の考えを持ってから、その考えを補強するために読書をすると言っている。
この意見にはぼくは賛同はできない。
現に『自分の頭で考えないと、本をただ読んでも意味ないよな』という新たな視点を、この本を読んでぼくは得られた。
自分の頭で考えることは最重要だが、その考えるための頭の中に知識や様々な物の見方がないならば、いくら考えてもろくな考えはでてこないだろう。
人の意見や知識に振り回されない思考力も鍛えていきながら、色んな知識を吸収していける人になっていきたい。
自分の考えを一番大切にしていい
とてもきびしい物言いが多いこの『読書について』だけど、「本に書いてあることより自分の頭で考えたことの方が大事だ」という意見は心を軽くしてくれた。
ぼくは本屋にいくと絶望に近い気分になる時がある。
これは「知識コンプレックス」とぼくの中では呼んでいるんだけど、まだ読んだことのない名著とよばれる本やぼくがすごいと思う人がおすすめしていた本、そして自分的にこの本は読んでおいた方がいいだろうと感じる本、が本屋に行くと大量に目に入ってくる。
その量は死ぬまでに読みきれないほどあるし、もしも読んだとしても自分にその内容を理解する知性がなかったら意味がない、という強迫観念てきな思いが出てきて、自分がなにか大切な知識をごっそり見逃しているような気持ちでいっぱいになるからだ。
でも『読書について』を読んでからは、そんな気持ちがずいぶんと楽になった。どんな本よりも自分の考えが一番大切だと恐る恐るだけど思えるようになったからだ。
名著や誰かがおすすめしていた、「読まなくてはいけない本」ではなく、今自分が気になっている本を読めばいいんだ、という当たり前のことをようやく思えるようになった。(ショーペンハウアーは歴史のある名著だけを読めと言っているけど)結局どんな本でも、それを読んで自分が何を考えたかが重要なんだから、自分が読みたい物を読もうと。
本屋でスマホで買う本をアマゾンのレビューで確かめている人がいた。以前、ツタヤで同じ光景を見た。便利な使い方とも言えるけど、ちょっと違うと思う。本当の傑作で感動するのは、沢山の凡作を見てるからなンだよ。一般の評価が低くても好きな作品は沢山ある。ビデオ一本、本一冊ぐらい、自分で決めろ
— 小池一夫 (@koikekazuo) 2016年1月3日
自分の頭で考えさせてくれる本
『読書について』はショーペンハウアーの、ただ読むだけな読書に対する強烈な批判の本だった。本を読むことが好きな人は、この本を読んだらきっと衝撃をうけて、本を読むことについて考えてしまうと思う。
また読書についての話が衝撃的だったためその話ばかりになってしまったが、本を書く方、物書きについての話も強烈で、
- 思想を伝えるのに多くの言葉をついやすのは、凡庸のしるし
- つまらぬものを付け加えるなら、よいものをカットしたほうがまだまし
- 新しいものがよいものであることは稀だ。よいものが新しいのは、ほんの束の間だから
という耳の痛い言葉でいっぱいだ。
文章を読む、書く、ということに対しての厳しい視点と情熱で溢れたこの本は間違いなくおすすめ。
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コメント一覧 (2件)
幼い頃から浴びるように本を読んできました。
この記事に辿り着いて外の世界に出て感じていた違和感の正体がやっと明確に分かりました。
膨大な数の他人の思考に触れる事は自分自身の思考を色褪せさせると同時にある種の傲慢さを持たせます。人と交流を持つ度知識と経験の差に苦しんできました。
読書について、書店で探してきます。これを最後にしばらく足が向かなさそうです。
著者が1冊の本にどれだけの労力と時間を掛けているのか、それをわずか数時間で読み切る読者では、まず太刀打ちできない。ショーペンハウエルの言う読書は、同レベルでいわば論文を闘わせる書き手でもある読者の読書術だろう。
逆に言えば、人類は他人の頭脳をうまく使いこなして、現代人でいられるのだ。誰も一から始めすに済む。
他人に毒されない素人の読書術は、正反対の立場の著者の本を両方読む事だろう。両方読めば、どちらの言い分に理があるのか、考えざるを得ないだろう。